長生きは幸せなのだろうか?

男性よりも長生きする女性は、自分の老後を心配している。働いてお金が稼げれば良いのだが、年齢が80歳を越えれば体力も落ちるし、雇ってくれる場所も無くなる。誰が考えても長生きした女性が年金や貯蓄だけで生活し続けるのは難しい。有料老人ホームは、既に満杯。お金で余裕がある資産家であれば、お金が高い老人ホーム(億単位の費用)を探せる。

老齢でお金を稼げなくなる体になるとお金が必要になる。特に普通の生活ができなくなり、老人ホームでの生活を求めると裕福な老人でないと第三者による介護生活を受けられない。私達の世代は団塊の世代のあとに来るので老人ホームは満杯で入れなくなる可能性が高い。

働ける人材の数よりも老人ホームの介護の生活を送る老人の数が多くなったら、社会はどうなるのだろうか。貧乏人の老人は長い気ができても生きられなくなる。全てがお金の社会になる。そんな社会で「長生きは美徳になるのだろうか?

長生きするとお金の負担が高まり、貧乏人は大家族形態に戻る

老後にどのぐらいの貯蓄があれば安心かという話題が新聞記事や週刊誌で溢れている。ある人は、3000万円あれば何とかなるとか、いや、1億円ないと安心できないとか、色々な見解がある。

一番安心な状態は、継続的にお金が降ってくる仕組みを老後に作り出せれば問題ない。大家さんビジネス、株の売買、投資家、その他ビジネスから収入が降ってくれば良い。その仕組みを長生きする奥さんに残してあげる。それが出来る旦那であれば、奥さんは大喜びだ。

長生きして困るのは奥さん

多くの長生き老婦人は、年金でやりくりをする事になる。女性の年金は男性よりもかなり少ない。国民年金で6万円弱だ。自営業の奥さんであればだが。女性が若い頃会社員であれば、厚生年金が追加されるが男性ほど優遇される金額にならない。

残された奥さんが年金だけでは生活が出来ない。子供が無ければ、生活保護でしか生きていけないだろう。経済的に裕福な老人女性であれば、生活はまた違うだろう。お金次第で第三者がお世話をしてくれる。お金持ちが優遇される時代だ。どの時代もお金持ちがでかい顔をする。

日本は専業主婦の老後にセーフティーネットが作られていない。夫が亡くなり、遺族年金をもらえたとしても生活保障費のほうが多くなる場合が多い。奥さんの年齢が75歳を越えれば外で働ける仕事もなくなる。その前に健康障害や認知症になったら仕事どころではなくなる。

資産家であっても健康でなければ、生きている価値を見出せない。老人ホームで生活をするにしても老化現象で自分の体が自分でコントロールできなくなれば、長生きをしても生きている時間を苦痛に感じ始める。多くのシニアが「ピン、ピン、ころり!」の死に方を望んでいる。

夫よりも寿命が長い奥さんたちは自分の老後の生活を元気なうちから計画する必要がある。普通の生活ができなくなると老人ホームでの生活になる。どうしても多額のお金が必要になるが、少子高齢化で老人ホームが満杯になり老人の終の居場所に困るようになる。全てがお金次第の超高齢化社会になって行く。

昔の大家族形態に戻る可能性が高い

少子高齢化で老人の介護を老人がする時代になる。それでも老人のお世話ができなくなるので昔の大家族主義に戻らざるを得ない。人手が多ければ、老人のお世話の負担を分散できる。現在のような個人主義的な家庭では介護する子供の負担が大きので負えなくなる。お金に余裕がある家庭はその負担を第三者に委託する。老人ホームに任せるのである。貧乏人は大家族で介護負担を分散せざるを得ない。

私の老後は、子供たちと一緒に生活が出来る事である。生活の中に子供たちと孫がいる。世代をまたがった触れ合いがある生活の中で他界していきたい。老人ホームなんて行きたくない。自分が分からなくなる認知症になったら、どうしようもないが。自分で自分の老後の人生を決められるならば、子供たちや孫と一緒に生活をしたい。

子供がある老人たちは、私と同じ願望があると思う。それが成り立つ家族関係とお金が大前提になる。お金はついて回る。お金を忘れて家族と一緒に生活が出来ないのだろうか。子供が資産家になっていれば、親はお金で困る事はない。そんな老人は非常に数が少ない。

全てがお金次第の高齢化社会

老人は、子供と同じ。自分一人では生活が出来なくなる運命にある。家族のお世話にならないと身の回りのことができなくなる。最終的には第三者の世話にならざるを得ない。それが介護ロボットかもしれない。あと20年も立てばロボットが老人のお世話をしてくれるかもしれない。ロボットもお金次第になる。ロボットを動かすエネルギー費用が発生する。ロボットを維持するお金も発生する。世の中全てお金しだい。

貧富の格差が現代は広まっている。大きな社会革命が怒らない限りこの傾向は変わらないのではないか。そんな社会で長生きができるのは裕福な老人だけになるだろう。貧乏人は自分の世話が出来なくなった時点で生きることを諦める人が急増する。

長生きが美徳である時代が本当に来るのだろうか?

地球の総人口は2019年時点で77億人である。2050年には人口が減少すると予測されている。長生きをする人間が増えれば増えるほど社会は長生きをする老人を介護する仕組みが求められる。それが介護ロボットか、生きることを止めることか。

介護される老人が増えれば増えるほど非生産的な労働が急増する。介護ロボットが老人のお世話をするにしても介護ロボットを動かすためのお金が必要になる。社会福祉は非生産的な労働であるので社会のどこかで生産性を増やす仕組みを作らねばならない。

時代は逆行するかもしれない。姨捨山のような仕組みが社会に制度化されるというリスクがある。昔、こんな映画をみた。「ソイレント・グリーン」という映画では生きることを止める事が権利として実行できる。

結論

人生100年ということが現実味が帯びてきた。2020年の100歳以上の老人が約8万人、日本で生存している。どれだけに老人が普通の生活を楽しんでいるのだろうか。生きていることを楽しんでいる老人であれば、長生きする意味がある。この世に生まれて死んでいく運命にある私達は生きているうちに何をすれば良いのか。答えは、他界する時に楽しかったと言える人生であれば良いだけだ。