年を取るに従って祈る事が多くなる

若い頃は、神に祈るという事を考えたり思ったりした事が無かった。自分の寿命を数えられる年齢になった時に自分以外のことで神に祈る事が多くなったと感じる。家族の健康と幸せだ。子供たちが大人になって独立して生活を始めている。親は、見守る立場になり、子どもの人生の冒険を遠くから見守る

私よりも長生きをする妻のことも祈る事が多い。

自分のことよりも妻や子供のことが気にかかる!

家の主人として、子どもの親として、自分が他界するまで跡を継ぐ者たちを見守る役割が私にあると思っている。自分ができることをやり続けることで親としての役割を果たすのだが、世の中には人智が及ばない出来事が突然降ってくる。そんな時は、もう、神に祈るしかない

どんなに社会で成功してもしょせん一人の人間だ。自然には勝てない。運命には勝てない。世の中はまだまだ分からないことだらけだ。私たちが人生を通して学んできたことなどが本当に真実であるかどうかも定かでない。10年前に学んだコレステロールは健康に悪影響を及ぼすという認識があったが、今はコレストロールはそれほど気にするようなものではないというふうに改められた。

日米政府は「十分な科学的根拠がない」として、コレステロールの摂取基準を撤廃した。」(引用先:東洋経済ネット

時間の経過で事実と教えられたことが嘘であったとなる。不確実の世界で私たちの生活が成り立っている。確実なことは自分の目で、肌で感じ、認識できたことだけではないか。生きていれば、自分ができる範囲で妻や子供たちを支援できる。

ただ、

支援するにも老いてくると逆に支援される側に立ってしまう。最後は、神に祈る事しか出来なくなるではと思い始める。老いれば老いるほど妻や子供たちの安全と健康を祈る。

でも、無駄ではない。

祈りには私たちが認識していない力があると私は感じている。私たち先祖も祈りに不思議な力を見出していた。世界中の人間が祈っている。祈るのは最後の最後の方法だ。やれることをすべてやってあとは神にお願いする。其れが祈りだ。

強い思いは天に通ずるという。

何かの目標に向かっているときは、強い思いがエネルギーになって私たちの人生を動かしていく。エネルギーが周りのエネルギーを呼び寄せて夢を実現させる。長い人生の中でそんな体験をすると神の存在と不思議な力を感じざるを得なくなる。

人間には、まだ知られていない力があるのではないか。私たちの体の中に電流が流れていること自体不思議だ。