65歳と75歳のシニアの違いはどこに出てくるのか?

75歳の高齢者が歩いている後ろ姿を見て体から出るエネルギーを感じられなかった。体が徐々に枯れて行っていくような弱々しい体格に見えた。当然、個人差はある。何かに熱中してアクティブに動き回っている75歳の方ならば、こんな感じは受けない。75歳は、後期高齢者というラベルが貼られる年齢である。多くのシニアは75歳になって自分は老人になったと認識する。

一方で65歳のシニアは、弱々しさを感じる事が無い。まだ、まだ、何かをやれるという印象がある。私は今年で66歳になる。75歳になるまであと9年間。今の体格と体力を維持できるかどうか不安があるが、週2回の筋トレでなんとか筋肉量と筋力を維持できるのではと期待している。

60歳代のシニアは70歳代のシニアよりも外見でも体力でも見て違いがわかる。10年間の違いは個人差は有るがはっきりと体に出てくる。

10年間の間に何が起きるのあろうか?

一つだけ分かっているのは、体は時間と共に衰えていくと言う事実である。今まで出来ていた事が10年後に出来なくなる体になっている可能性が高い。精神面はどうだろうか。情熱を持って何かを追い続けてきた高齢者ならば、現状維持に近い。何も熱中する事がないシニアは、時間を持て余して生きがいを見失っている。

やりたい事が沢山有ってスケジュール帳に毎日何かが書かれている人ほど目が輝いている。エネルギーが体から自然と出ていてそれが周りの人に感じさせる。別に老人だけではなく誰にでも言える事だが、老人ほど顕著にそれを感じる対象者はいない。周りの人にエネルギーを感じさせるシニアになりたいと私は思っている。

生命エネルギーを感じるか、感じないか?

死んでいる動物と生きている動物を見て、どう感じるだろうか。死んでいる動物は生命エネルギーを感じさせない。エネルギーが出ていないからだ。同じ事が人間にも言える。体から出ているエネルギーの量と強さは、人間のセンサーに引っかかる

65歳と75歳のシニアは、自ずと生命エネルギーの量と強さが違うのだが、そこには個人差がある。個人差は、どのような生活を続けているかで決まる。目的を持って何かを追い求めている人は、絶えず活動するためのエネルギーを出し続けている。忙しい老人ほど健康で元気なのは信じられる。

Happy Retirementで毎日が日曜日の高齢者ほど自由な時間に苦しめられている。65歳からの10年間を目的のない生き方をしていると75歳になる頃にはエネルギーを作り出すエンジンが壊れ出す。向かうべき羅針盤を自分で作れなくなっていると風が吹くと風の力で人生の迷路に入っていく。

65歳になる前までに65歳以降にやるべき目的を持って活動していれば、70歳を過ぎても生命エネルギーを維持できる。その理由は目的が生きがいに変わるからである。生きがいは、生命エネルギーの放出を増やす。生きがいを見つけられないと75歳になる頃にその違いが出始める。弱々しいエネルギーを出しているシニアと話すと話に張りがない。声に強さを感じない。枯れ葉のように感じる。

5年毎にシニアの生活は老化で変わって行く

65歳は会社を完全に卒業する年齢になる。70歳を過ぎると社会とのつながりが切れ始める。75歳になると体が不自由になる。年齢の段階により社会とのつながりと体の状態に変化が起きる。このパターンから逃れるにはどうすれば良いのか。

  1. 65歳以降も仕事を持って働き続けること(起業、アルバイトやパートなど)
  2. 70歳になったら自発的に社会につながる努力をすること(NPO団体で活動する、ボランティア活動をするなど)
  3. 75歳になる前からスポーツジムで筋トレの運動習慣を身に付けること

最終的に一つでも生きがいになる目標を求め続けられるかどうかになる。段階的年齢で老化は進んでいく。それに適応しながら生きがいを追い続ける精神力と体力が求められる。65歳から75歳になるまでに自分の生きがいを持てれば、老後の人生は楽しくなる。10年間に身体の老化だけは進む。

結論

65歳と75歳のシニアの違いは身体の老化に出てくる。老化が進むにつれて社会の中の自分の存在が薄れて行く。社会とのつながりが切れ始めて社会から置いてきぼりになる。65歳代のシニアはまだ健康で活動的に動ける体力がある。75歳になると健康面と体力で問題を抱え始める。

65歳と75歳では社会での活動に違いが出るし、自分の老後生活でも生きがいがある、ないで大きな違いが生まれる。生きがいを追い求め続けるシニアは年齢に関係なく生命エネルギーを身体から出し続けられる。そのエネルギーが若さを印象づける。